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シルク発祥の中国から世界へ伝わった歴史散策

絹衣装

このページではシルクの歴史を世界編として見ていきます。

5000年前

絹の発見にはこんな説があります。

今から5000年以上前、中国であった話しです。

農耕牧畜が始まった新石器時代の初期、人間は農作などで食糧を得る一方、野山での狩りもしていました。

獲物は動物だけでなく昆虫もあったとされています。

その昆虫の一つに野蚕がありました。

繭からサナギを取り出し、タンパク源にしていたそうです。

その時、繭を口に含んだところほどけてしまって糸が偶然にも発見された、という説です。

もう一方では、野生繭をお茶の湯に落としてしまい、これを箸で拾い上げようとした時、白い糸を見つけた。

このような諸説もあり、5000年前には今の中国で絹が誕生していたと言われています。

中国浙江省(せっこうしょう)の銭山漾遺跡(せんざんよういせき)からは、石器や木製品以外にも絹糸や絹布が見つかり、今から約4800年前ぐらいの世界最初期の絹関連の出土品とされ、「世界のシルクの源」と命名されています。

絹の発見、誕生した当初は養蚕ではなく、山野から野蚕の繭を取ってきて集め、宮女達が繭を煮て糸をつむぎ、縦糸と横糸を交互にして織る平絹が作られていました。

4500年~3500年前

黄帝の時代、紀元前2500年頃には養蚕が始まったと記する歴史書があります。

通鑑綱目(つがんこうもく)という史書の中に

西陵氏(せいりょうし)の女 
縲祖(るいそ) 
皇帝の元妃(げんひ)となる 
始めて民に育蚕(いくさん)を教える

このように記されてます。

これの意味は、黄帝の妻である縲祖が屋内での養蚕の方法をあみだし、人々へ教え広めいたという意味です。

家蚕の先祖はクワコ(桑蚕)と言われています。

クワコは桑園の害虫で、外観は家蚕に似ていますが大きさは二回りほど小さく繭玉は小型でしたが手を加えながら飼い馴らされ徐々に家蚕になっていたとのことです。

紀元前1500~1100年前に栄えた殷(いん)の時代の遺跡から見つかった多数の甲骨には文字が刻まれていました。

甲骨文字

漢字の起源になった甲骨文字ですが、解読された結果、「蚕」「桑」「糸」「帛(きぬ)」 とわかり、この時代にはすでに繭から糸を取りだす製錬技法や布地にする織物技術があったことは遺跡から見て明らかです。

そしてこの技法は、宮廷内の秘密となり、3000年以上にわたって門外不出になったのです。

2200前(漢の時代)

紀元前300年ごろ、漢の初期時代には絹貿易が始まっていったようです。

この頃は平和は続き、産業も著しく発展したと言われてます。

繭から生糸にする方法や高度な機織り技術も進歩し、良質な絹織物が作られました。

厚手の錦(にしき)

織り方の模様がななめになっている綺(き)

薄く透き通っている紗(しゃ)

目の粗い羅(ら)

薄地の平絹

これらの技法は漢の時代に生まれた素晴らしい絹織物です。

宮廷内の秘宝ともいえる絹織物は、この時代から次第に東アジア各地、西は中近東を経てローマまで広がり輸出されるようになりした。

西への貿易の為にできた道が「シルクロード」の始まりです。

紀元前1世紀には、すでに中国は絹織物の産出国として世界的に名高くなっていました。

絹織物はとても高価で同じ重さで金と取引されており、古代ローマでは上流階の衣服として浸透していきました。

また「絶世の美女」として有名なクレオパトラは、絹の愛好者であったとされてます。

クレオパトラ

豊満なカラダを誇示するきらびやかな衣装から心地良い肌着まで全て絹つくし、特にヒメサラレイシ貝(貝紫)の分泌液で染めた紫のシルクをこよなく愛したと伝えられています。

1800年前(2世紀~3世紀)

養蚕の技法が宮廷から漏れた事件がありました。

中国王が遠国を抱き込み権力範囲を広げようとしており、その策として両国の婚姻がありました。

中国の王女がホータン国(現在の新きょうウイグル地区)に嫁ぐ時、禁制の蚕種を髪の中に隠して持ち出したという「絹王女の伝説」があります。

これがきっかけで中国の養蚕技術はしだいに西方(インド、ヨーロッパ)にも伝わっていったようです。

またこの頃に日本にも養蚕が伝わったとされています。

1500年前から近世(6世紀~)

6世紀にはインドから東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに蚕種がもたされたのがヨーロッパに入った始まりとされています。

養蚕がヨーロッパで普及し始めたのは8世紀頃でスペインまで広く行われるようになりました。

その後中世になると、ヨーロッパ各地で養蚕技術は発達し、19世紀の中頃、イタリア、フランスを中心に最盛期を迎えるに至ったのです。

200年前~現代

1850年~1960年代、カイコの病気である「微粒子病(びりゅうしびょう)」がヨーロッパ各地で大流行し、フランスでは養蚕産業が壊滅状態に陥りました。

しかし江戸幕府から蚕卵紙(カイコの卵を産み付けた紙)を3万枚ほど寄贈されて養蚕業が一時的に復興した記録があります。

その後も幾度となく伝染病の影響でフランス、イタリアでは徐々に衰退、代わりに日本が台頭し明治維新以降、栄えていくことになるのです。

フランスで作られた精練機械は日本へ輸出され、あの世界遺産になった富岡製糸場に当時の最新式機械として導入されました。

1950年時代、日本が世界一位の繭生産量国になりました。

しかし1960年代の後半から1980年に渡って養蚕業が衰退した日本、今や最盛期の1%未満になってます。

代わって1970年ころから中国での養蚕業が再び栄え、2000年代では全世界の8割を占め、再び世界最大のシルク生産国に復活しています。

引き続き 日本の絹歴史をご覧ください。

参考文献
シルクのはなし:小林勝利、鳥山国士(著)
絹の魅力:金澤昭三郎、川村一男(著)